そうすれば、あなたは恥じることなく 顔をあげることができ、 堅く立って、恐れることはない。
その時、あなたは全能者を喜び、 神に向かって顔をあげることができる。
そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。
男は、怒ったり争ったりしないで、どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである。
悪しき者は追う人もないのに逃げる、 正しい人はししのように勇ましい。
主を恐れることによって人は安心を得、 その子らはのがれ場を得る。
神はわれらの避け所また力である。 悩める時のいと近き助けである。
主はわたしの光、わたしの救だ、 わたしはだれを恐れよう。 主はわたしの命のとりでだ。 わたしはだれをおじ恐れよう。
わたしがもし悪ければわたしはわざわいだ。 たといわたしが正しくても、 わたしは頭を上げることができない。 わたしは恥に満ち、悩みを見ているからだ。
正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、 わたしの心は恐れない。 たといいくさが起って、わたしを攻めても、 なおわたしはみずから頼むところがある。
このゆえに、たとい地は変り、 山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。